道を歩いているとたまに小銭(硬貨)が落ちていること、ありますよね。
ぼくはわりと最近、見つけてもそれを拾うのをやめることにしました。
すごくざっくり言うと、
小銭を拾わないほうが運気が良くなるような気がするから。
根拠はないです。
けど、そのほうがモノゴトがうまくいくシーンが増えている…ような気がしています。
目次
昔本で読んだけど、ビル・ゲイツ以外は拾ったほうが儲かるらしいね
ずっと昔になにかの本かなんかで読んだのは、
ビル・ゲイツ以外は落ちている小銭を拾ったほうが儲かるってこと。
どういうことかというと、
拾うという動作に仮に1秒かかるとして、
1秒あたりの儲け、時給じゃなくて秒給を計算した結果、
(その話の当時)大金持ちの筆頭とされたビル・ゲイツ以外は
拾ったほうが儲かるらしいです。1円でも。
ビル・ゲイツは拾う1秒の間に1円以上儲ける人だから拾わないほうがイイんだとか。
ぼくはその情報を見てからというもの、
小銭を見つけては拾うように心がけていました。
その小銭がどこに行くのかは、明言しないでおきますが。
けどそれやってて、だんだん気づいてきたんです。
「あ、コレ運気が下がるかも」って。
使えない小銭や物理的に汚い小銭に、運は宿っているのか?疑問
小銭を拾ってみると、
いろんなことに気づきます。
ベコベコにひしゃげた小銭、
汚れにまみれた小銭。
ベコベコなのは主に自動車にひかれたものです。
試しに自動販売機に入れてみても、その硬貨をお金の認識してくれないんです。
釣り銭口からチャランと戻ってきます。
そして汚れた小銭。
そのままでも使えますが、財布の中が汚れます。
汚れを拭き取るとなると、その「時間」と「労力」が取られます。
時間と労力。これがカギです。
手間が増えるんです。時間が減ります。
そして少なくとも一度は、地面に落ちた硬貨だという事実。
そこにはたして、運気は宿っているのか?
ぼくは疑問に感じたのです。
泡銭は何に使ったか覚えていない
仮に500円玉を見つけたというときでも、
使ったあとはたいてい覚えていないんです。
なぜなら泡銭(あぶくぜに)だから。
一度に複数枚拾った場合なんかは、
印象に残っていたりはします。
けど結局、何に使ったか思い出せないんです。
記憶に残らない思い出に残らないような使い方をして、
ほんとにそれでいいのか?
財布を汚してまですることなのか?
むしろ意地汚いという自覚が芽生えたり、
メンタルにあまり良い影響はないのではないか?
そんなことを考えるようになっていきました。
どっちを選んでも答えはないのかもしれない。だからこそ信じる方を選んで運命を引き寄せたい
けどまあ、お金の神様なんてものが祀られていたりするんですから、
落ちている小銭を拾わないなんてバチ当たりだってことにもなるのかもしれません。
そこは八百万の神がいるということで、他の神様たちの力を借りるためにも
一度落ちた小銭は拾わない。
ぼくはそっちに決めました。
そもそもキャッシュレスでそうそうお金が落ちている現場には遭遇しませんけど。
ぼくの知っている範囲でいうと、タクシーがバンバン走っているような地域では
小銭が落ちている確率は上がります。
具体的には新宿歌舞伎町あたりとか、飲み屋街など。
たぶん酔った人がタクシーに乗ったり降りたりして、支払いのとき
小銭をポロッと落としちゃってるんでしょうね。
落としている様子が想像できるからこそ、
その小銭に運気がついているか?
とても疑問です。
むしろ良くない運気を財布に招きそうな予感すらあります。
そんなわけで、
ぼくは小銭を拾いません。
ちなみにお札が落ちているシーンにはめったに遭遇しないのでなんとも言えませんが、
たぶん一万円札が落ちていても拾うかどうかは躊躇すると思います。
自分の財布のため、ひいては自分の運気運勢のためです。