
セン
ねぇ、ニンタ。知っていましたか?『右手に盾を 左手に剣を』って、普通とは逆なんですよ
へぇ……攻撃が左で、防御が右? それ、左利きなら自然な構えかもしれないね

ニンタ

セン
そうなんです。だから思ったんです。利き手って、“世界の見方”を左右しているのかもしれないって
なるほどねぇ……持ち替えるだけで、視点が変わる。まるで“音を切り替える”みたいにさ

ニンタ
たとえばギターもそう。左手でコードを押さえて、右手のピックでリズムを刻むんだよ。左右の役割がはっきりしているのが、すごく心地いいんだ

ニンタ

セン
ええ。だから左利きって、“違和感”の中で世界を感じ取る天才なのかもしれませんね
ぼくは左利きです。
改札でICカードをかざすとき、右手と左手を自然に持ち替えていました。
どちらの手でも使えるようになったのは、
右利き社会で生きてきた左利きの順応か、
それとも本能だったのでしょうか。そんなある日、ふと頭をよぎったのです。
――これ、発想の切り替えそのものでは?
思えば、遊戯王では「右手に盾を 左手に剣を」という魔法カードがありました。
テニスの王子様の越前リョーマも、試合中にラケットを左手から右手へ持ち替えて、
相手の意表を突くプレーを見せていました。
あの姿がカッコよくて、つい真似してみたことを覚えています。
左利きという個性が、
知らず知らずのうちに「持ち替え=スイッチング」の思考を育ててくれていたのかもしれません。
目次
「左利きは少数派」という呪いと可能性
日本人の約10%しかいない左利き。
子どもの頃は、ハサミや急須、
改札や自動販売機の位置さえも「なぜ右利き用ばかりなのだろう」と感じていました。
しかし、不便のなかで自然と工夫するようになったのです。
たとえば、ペンを左手で持ちながら右手でページを押さえる。
キーボード操作も利き手を気にせずこなせる。
こういった「瞬間的な持ち替え」や「柔軟な思考」が、
実は左利きの武器なのではないかと思うようになりました。
そしてそれは、ただの“生活のクセ”ではなく、
発想を切り替える“回路”として機能しているのではないかと。
「右手に盾、左手に剣」は本当か?
子どもの頃に見たアニメやマンガでは、
右手に攻撃、左手に防御という描写が多く見られました。
しかし、左利きの自分からすれば「剣を持つのは左、盾は右では?」
と感じることがたびたびありました。
ここにあるのは、「常識」への違和感です。
そしてその違和感こそが、創作や仕事のなかで新しい視点を生み出してくれるのです。
「本当にこのやり方が正しいのか?」「逆にしてみたらどうなるのか?」という思考のスイッチ。
それが、左利きという“当たり前じゃない視点”に根ざしているとしたら。
左利きという体質そのものが、
発想の冒険者を育ててくれるのかもしれません。
日常の中で磨かれる“持ち替えスキル”
たとえば改札。 混雑時、空いているほうに身体をひねってICカードをかざす。
手がふさがっていれば反対の手に持ち替える。
こういった小さな持ち替えこそ、現代の“戦術”なのだと思います。
流れを読む。タイミングを測る。身体を使って脳を動かす。
持ち替えるたびに、思考がリフレッシュされていく。
それはまるで「アクションの瞑想」のようです。
左利きは「才能」なのか?
そんな折、
出会ったのがこの本でした。
📘『1万人の脳を見た名医が教える すごい左利き 「選ばれた才能」を120%活かす方法』(加藤俊徳 著)
脳科学的なアプローチから、左利きの人の脳の使い方、
強み、活かし方が語られています。
「左利き=不便」ではなく、
「左利き=才能の宝庫」という視点はとても衝撃的でした。
特に印象的だったのは、“左利きの人はマルチタスク能力が高い”という話です。
持ち替える動作に慣れているぶん、脳の切り替えも早い。
そして、周囲と異なる環境に適応してきた経験から、共感力も育つのだそうです。
この本を読んだとき、
ただの“利き手の話”ではなく、「自分自身をどう活かすか」のヒントが詰まっていると感じました。
まとめ、今日から「左右」を遊んでみよう
左利きは、不便である一方で、発想の宝庫でもあります。
右利きの世界に適応する中で培った柔軟性や、持ち替えの感覚。
そのすべてが、思考や創造性の土台となっているのです。
これは、左利きだけの話ではありません。
「いつもの手と逆の手でスマホを操作する」
「ご飯を持ち手じゃない方で食べてみる」 そんな小さな行動からも、
“脳の持ち替え”は始められます。
今日、カードをどちらの手でかざしましたか?
その一瞬の違和感が、新しい世界を開くきっかけになるかもしれません。
そして、そんな視点をもっと深く知りたい方には、この一冊。
『すごい左利き』は、あなたの“左右の未来”を優しく照らしてくれるはずです。